焦燥感からの逃走

三月がぐいぐいと息もつかせぬ速さで迫ってくるのにも関わらず、毎晩のように気温は氷点下二桁度を記録し、今日もまた止むを得ず一日のほとんどを炬燵の中で過ごしている次第だ。部屋の壁の一面がサッシの上に、ボロボロで隙間風を通し放題のこのアパートは、厳しい冬を越すはあまりにも大きなハンディキャップだ。

生来予定を管理する能力に欠けている人間であるため、この時期になると何をしていても焦燥感を覚えてしまう。何かしらのお誘いを頂いたり、約束をしようという度に頭の中のカレンダーをひと回りもうひと回りと精査してみるのだが、何度繰り返そうとも「まだきっと私は何かを忘れているに違いない…………」という不安を拭い去ることができない。それならばあんたこんな落書きしとらんと予定を書き出してしっかり管理なさいとお思いになるだろうけれども、勿論はなからそれをする気がない訳ではないんである。予定が入る度に、ああこの壁に真っ白な紙を貼って予定を端から書き込んだらどんなに楽だろう、とそう思っている。思ってはいるのだが、書き出す際に何か重要なことを忘れて酷い失態をやらかすんじゃないかとか、予定がみっちりと埋まったカレンダーを見て、あまりの時間のなさに卒倒してしまうんではないかとか、ともかく書き出すことすら不安でしょうがない。はっきりと把握はしていないけれども、きっと私には時間がない。それを知ることが怖くて怖くてどうもこうもない。そもそもはこんな忙しい時分に、こんな外に出るのも憚られる季節であるのがいけないのだ。あらゆる面倒ごとは夏に済ませるべきだ、と冬の私は思う。

例えばどうしようもなく金がない時に、ああ金がないなあどうしようかなあ、なんて考えるのは愚の骨頂であることを、年がら年中空っけつの私はようく知っている。ないものはないんだから居直るほかに方法などない。まあいつも何でも手の届くところにあるのが当たり前なんていう考えは飽食の時代の生まれの悪い癖だ、たまには自分を律し、本でも読んで黙々と耐え忍ぶのもよいことじゃないか、などと現状を正当化するのがコツだ。ないない尽くしで頭がいっぱいで気が滅入るよりもよほど健康的である。しかし今度ばかりはまあないもんはしょうがない、と居直りぼんやり過ごしていては正気を取り戻した時に手遅れになりそうである。この部屋には真っ白い紙すらもないので、ひとまずは方眼用紙でも買いに行く予定を…………予定はいつが空いているんだったか。