穴の空いた長靴と

どうも女の人とは30才を越えたあたりから冬にはブーツではなく、花やらなんやらの柄が入った細長く、小洒落た長靴を履く傾向があるように思う。だからどうしたというわけではないが。

冬は夏にサンダルを履くかのごとく、長靴を履く。口が大きいのでヨイショと足を上げ下げするだけで履くことができるし、部屋着のままに外へ出るときもズボンの裾が濡れたり汚れたりしなくてよい。そんなに寒くないのであれば、靴下を履く手間も省略することができる優れものだ。こんなに便利なものがワークマンまで足を延ばすと1500円弱で買えるのだから便利なものだ。しかしある時、その難攻不落さに全幅の信頼を置く長靴をはき、ばしゃばしゃと水溜りの上を歩いていると、足の裏に冷たい感覚がある。ゴム底と皮の間に隙間でもできたかと思い、家に帰ってから確認してみるものの、想像していたような穴は見つからない。皮の部分が弱ってしまい、水が染み込んでいるのだろうか。長靴とは本来は雨の時に履くものであって、水が染み込むような代物であればそれは長靴とは呼べないのではなかろうか。これを履くのにどんな意味があるだろうか。そんなことを思いつつも、買ったばかりのスニーカーを汚すのは忍びないので、その長靴とは呼べなくなったと思われるものを履き、水溜りを避けつつ学校へ向かったある朝だった。椅子に腰掛けて、なんとなく足元を見つめたところ、穴はあった。長靴の胴の部分の皮を縫い合わせている、ちょうどかかとの少し上の部分がパカパカと、それも両の足のそこが口を開いていた。長靴のサイズを選ぶときに、足のサイズのことを考えず、高さがある方が雪の降り積もるときには役に立つ、或いは同じ値段ならば大きい方が良いといった考え(大盛りが無料ならば大盛りの方が良いというような貧乏学生の性)が仇となった形だ。無駄に太い胴回りのためにそこに負担がかかり、穴が空いてしまったのだろう。大は小を兼ねず、何事もちょうど良いのがいい。幾年前か何事も腹八分に収めなければと心に決めたもののすっかりと忘れていたことを思い出す。今年こそは腹八分目を抱負に過ごしたい。