作り話がしたい

高校1年の時図書委員だった。(正確に言うと1年の1学期?)オタク特有の図書委員へのナントナ〜イ憧れとその他諸々とその他諸々といった理由から必ず何かしら1つ選ばなくてはならない委員会の中からそれを選んだわけだけれども、実際に待ち受けていたのは好きな本を読みながらふわっと流れていく優雅な時間やらその他諸々やらその他諸々などではなく、新しく入ってきたどうでもいい本に日焼け防止の透明なカバーを貼るという永遠に続く単純作業のみであった。一緒の時間に入ることの多かった先輩がいけ好かない奴だったということもあるが、夏が近づく頃にそっとドロップアウトして、2年以降はなんの委員会に入ったのか、よく覚えていない。

そのいけ好かん先輩が好きだったということもあり、無意識か否か椎名誠を敬遠してきていたのだけど、ついについに初めて買った「水域」という小説を読みだしたところ、これが面白くてページをめくる手が止まらない。人の性だけれども嫌いな奴が好きなものが嫌いと勝手に決めつけるのはもったいないことであると改めて気付いた。


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年中誰かを腐してはそれを酒の肴にしている方の人間だけども、繰り返しばっかりの日常にまいっていると、何も酒を飲んでいる時まで面倒ごとばかり並び立てて話すことはないだろう、と思うことがある。かと言ってなにか好きなものについて熱を上げて語るほどの気力もない。そんな時に僕は「作り話がしたい」、と思う。しかし作り話と言っても何のとっかかりもないと面白みがない。

例えば、話し手以外の誰かが話の入り口と出口に2つの単語を決めてやる。例えば入り口が夏休みで、出口がおばあちゃんなら、夏休みについての話に始まりおばあちゃんで落とす、といった具合だ。怖い話に不思議な話、笑える話でも泣ける話でもいいし、他の制約に付け替えてもいい。(指定した5つの単語を必ず使う、といったように。)ただし酔いの浅い状態でするとあまりのとりとめのなさに酔いが回る前に誰かしらが寝てしまうということも考えられるので、なるべくべろべろになってからやるのが良いと思われる。所詮作り話じゃないかと水を差す人間がいない時でなければないという前提はあるが。


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こんなことがしたいと思うのにも理由がある。人間の脳は使わない期間が長くなるほどに筋肉と同じく退化していく、というのを近頃ひしひしと感じている。高校生の時ならこんなもの易々と理解できたのに、だとか。あまりに喋らずに過ごすせいで上手く言葉を組み立てられず会話がままならない時もある。このブログを書く目的も、そういった退化を防ぐために何のことであっても長々と書き殴ることで脳の筋肉を少しでも使いたい、という側面がある。その上衰えるのは頭だけではないから困る。文字を書くことが減ったせいで文字の途中でペンを上げるのすら億劫になってしまい、大概の文字を一画ないし二画に収めてしまう。少し股を開いたり腕を上げるとあちこちがすぐにつる。これはブログだけでなく運動もするべきではないのか、気付くのが遅すぎたばっかりに腰を上げるのも途轍もなく億劫だ。